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[业界] 世嘉如龙制作人名越稔洋首次公开谈对师傅铃木裕的感情(莎木3制作人)手动翻译中

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 楼主| 发表于 2019-5-11 20:45  ·  浙江 | 显示全部楼层 |阅读模式
本帖最后由 funny-boy 于 2019-5-13 19:41 编辑

https://www.famitsu.com/news/201905/11176069.html
世嘉如龙制作人名越稔洋首次公开谈对师傅铃木裕的感情(莎木3制作人)

《梦游美国》和《如龙》等,制作出多数大作的世嘉游戏CPO名越稔洋。今年迎来作为游戏设计师活动30周年,回顾其半生经历!

世嘉名越先生作为游戏设计师活动30周年纪念采访前篇


 作为世嘉的游戏设计师兼CPO(Chief Product Officer)、在游戏业界巩固了地位名越稔洋先生。在经历了叫做平成的时代的本人的游戏设计师人生,可以说是和自身游戏所匹敌的波澜壮阔的电视剧般的前半段人生。

 这次特别邀请到了那样名越稔洋先生,来回顾一下从入社到现在的经历的转折点。在访谈中的章节中,也有至今为止一直没有积极评价的内容,那就是作为曾经的上司铃木裕先生的有关的事情。作为游戏粉丝,一定要读一下哦。

前辈一起退社是作为游戏设计师人生最初的转折点

――这次作为名越先生的游戏设计师人生30周年纪念活动,很荣幸有机会能采访。那么,名越先生在入社后的那时的世嘉是怎么样的状况啊?

名越 入社当时还是2D游戏的全盛期。世嘉也是在街机业务上已经出名。当时正是世嘉MD出来的时候,公司里以“接下来是家用机!打倒任天堂!”热血燃烧中。我进的街机部门,全国正在掀起街机厅。游戏业界本身还是十分景气的。现在回想起来,正是对一定程度上确信街机未来是明亮的时代。如果那么想的话,我是在非常好的时代进入公司的。

――当时街机游戏是最先进的啊。

名越 另一方面家用机在海外被评价为拥有独自的品牌力。在作品上虽然一直缺乏有力的大作,但是从《索尼克》出现后就开始变了。“也许,世嘉在家用机方面能超过任天堂?”这样的抱有简单的期待,是一个非常好的时代。

――那么,当时公司内的氛围比较好吗?

名越 大家都非常开朗哦。虽然制作一个个作品都很辛苦,但是都是在制作过程中抱有自尊心的。“真是火热的专业集团啊。”我还记得自己这么想过。

――顺便问一下、名越先生最初所属的部门是在哪里啊?

名越 最初是第8研究开发部。以当时的划分来说,第1是街机软件,第2是家用软件,第3是家用硬件,第4街机框体等的机器关联,第5是街机硬件,第6是《儿童电脑・ピコ》制作的教育系,第7是玩具。第8は当初,是作为第1研究开发部的分室而独立制作的部门,和第1一样进行担任街机用软件开发。第8研究开发部创立时,我入社了。第1和第8部门的区别一定要说的话,就是第8研究开发部是体感游戏专门的小组。

――原来如此!

名越 所以在被分配的这个部门的那一刻起,我就注定要制作体感游戏。因为当时我的印象就是“说起世嘉就是体感游戏”,被分配到那里让我很开心。相反,也因为第8研究开发部是铃木裕先生率领的在公司内是最高级别的小组,也有类似“我为什么会被分配到此?”这样的疑问和不安。后来得知的,这个小组还是铃木裕本人亲自决定需要的人才的时代,一开始就确立了好的人才,所以会工作的人很多。

――名越先生也是被评价为会工作的人吧?

名越 哪里哪里,对于几乎没有接触过电脑经验的我来说,也许是那时最不会工作的存在。所以一直有“为什么?”这样的心情。对铃木裕先生一直没能问"为什么选择了我?”(笑)。当时我比谁都要没有知识,抱有这样强烈的意识,也没有让自己太出挑。感觉自己一直是比谁都认真在学习的姿态努力着。

――作为设计师入社的名越先生,最初负责什么样的工作啊?

名越 感觉当时自己在一点点地画点阵图(笑)。当然有专用的图形软件,用那个在工作。大家都是很厉害的前辈,比我要工作得快很多。本来我就不会使用图形软件。是从“这个功能是什么?”开始学习的。

――啊,原来如此。

名越 因为是新人,所以都是些底下的活,能画画的机会很少。因为是30年前的话了,所以我觉得应该已经过了时效。白天就是从事和设计无关的杂活,晚上被前辈说“这个明天做一下”。(笑)。

――很严酷啊(笑)。

名越 在那个时间点通宵是绝对有的事情,在没有人的办公室里不在意时间画画。我非常的开心,觉得是有价值的时间。但是拼命做的东西在第二天给前辈看后,“这是什么啊!”被否定的情况也是有的。

――有以前匠人的气质啊。

名越 是啊。虽然被说不行的时候非常悔恨,实际问题是,周围厉害的人太多了。不是我胡说,被比我快10倍的并且画的很好的人说了,所以不敢反驳。当时是,“虽然不会被炒鱿鱼,但是可能会被扔到其他部门”我是这么觉得的。但是,虽然前辈都非常严厉,但是会教我怎么工作。

――那样的时期很长吗?

名越 实际上并不长。之所以那样是因为,入社1年左右期间有相当人数的前辈……说穿了就是对铃木裕先生谋反,辞职的人很多。原本有两个小组,结果有一个小组消失了。同期入社的同事中也有随着前辈一起辞职的人呢。

――为什么名越先生没有选择在那时“和前辈一起离职”呢?

名越 因为我在这个公司什么都没有留下,什么都没有学到。所以没有选择离职......。但是,只是觉得公司原来也会发生这样的事情。变得比之前更加不安的心情。(苦笑)。上司的铃木裕先生也有“难倒我了”这样的感觉,但是马上又会恢复成积极向上的人。但是,这个时候是我的游戏设计师人生的最初的转折点。

――顺便问一下,为什么前辈们都会辞职呢?

名越 铃木裕先生的游戏制作方式,组织上的想法是独特的,是合的来和合不来的人会立马区分出来的类型。辞职的都是合不来的人。当然,在那里我也面临着合得来还是合不来的问题。(苦笑)、最终还是因为合不来所以独立出来了。历史是会重演的,但是历史重演的东西也并不是总是坏事。

――确实,的确有能如此看待的场合。

名越 只是切换想法的话,可以诞生新的事物,并不会有多辛苦。环境和立场确实会对新的事物造成影响。比如说,看到前辈离职时,在我看来是又年轻还拿着这么好的工资,觉得实在是太任性,这个是事实。在那时,自己从铃木裕先生那里独立出来拥有自己的部门后,一定要说那时是怎么想的,那就是会想到“作为设计师,作为一个人只要努力了,肯定会产生那样的冲突。”或者说,那样反而才是正常的。这就是在公司待久了,会体验到历史的重演,我觉得也正是那个经验才能确实产生新的东西。


除了做设计师以外,还有做和设计无关工作的日子

――我们听了您说和铃木裕的合与不合的话题。首先请沿着时间线,能告诉我们关于前辈都辞职后的名越的故事吗?

名越 最初,使用取名为Model1的街机用基板制作了《VR赛车》。之后出了《VR战士》,实际上《VR赛车》是《VR战士》的基础。

――原来是那样的啊!

名越 当机器进入工作室时,员工都会动员起来,对吧? 在那个时点上,用多边形来表现动作。“就是这样制作格斗游戏的!”年轻的同事都这么说。但是,当时的世嘉以基板为新的轴心......Model1和Model2,我们在用称为主板的硬件制作时,首先要让玩家先体验到体感游戏的力量。

――啊,原来如此。

名越 曾经有《OUT RUN》,像《冲破火网》这样的,进步的象征是用体感游戏来表现的。因为有着那样的历史,想刷新格斗游戏,公司是不会接受的。而且,《街霸2》展示了2D之最,用多边形去表现时,也有会很多怀疑的意见。结果,首先开始制作了《VR赛车》,在那期间发展了动作技术的研究。

――那时、名越先生做着什么样的工作呢?

名越 在《VR战士》的时候作为设计师,接的都是杂活。比如......当时我使用使用点阵图的绘图工具,在公司里制作。定期更新,工具放在主板里,更新时替换只读储存器。有一天,铃木裕先生说“以后的时代都是苹果机时代!把工具里都往苹果机移植吧。”那时我还不是非常懂,但是却回答了“明白了”......之后就是地狱的开始。

――发生了什么事情啊!?

名越 首先,当时能写苹果机的程序的技术员,在日本几乎是没有的。

――那样啊(笑)。

名越 因此、首先要找寻能够理解硬件并且会写程序的人。把想做的事情和预算向各种公司讯问,结果都被告知不可能......终于找到个公司说“能不能完成不知道,首先试试看。”(苦笑)。终于解决了程序问题,接下来发生了程序处理慢的问题。

――是怎么解决的呢?

名越 单纯地增加开支,买了最贵的苹果机。

――哈哈哈哈(笑)。

名越 现在回想起来,在游戏业界,大规模引进苹果机的只有世嘉。以100台为单位引进的。但是至今花工夫的图形工具的更新工作,只有一个软盘就能完成了,完成后的确感受到了用苹果机有多大的恩惠。

――铃木裕先生真是有先见之明啊。

名越 是啊。但是,刚才的话还没讲完呢。使用图形工具的工作人员定期会写一些类似“想要这样的功能”的问卷调查。在制作公司内制作的工具时,硬件方面也在进行着。导入苹果机后,也会来我的地方。因为变成了外面的公司的窗口。

――会成为那样的趋势啊。

名越 现在试着看了那个问卷调查“用不了!”这样的意见大量汇集。那是因为已经习惯了工具,现在突然变成新的当然会不适应。何况,当时还是苹果产品还没席卷全世界的时期。在他们看来,我是“顺从疯了的上司的***”。那正是想在问卷调查上写“***吧”。但是,因为即使气馁也没有办法,还是要去看一下问卷调查的回答中具体写着什么.......。在那个时点上,我在进行了与设计无关的工作。(笑)。

――是啊(笑)。

名越 很辛苦才整理完工具,我觉得根据那个而得到的东西非常多。链接那个电脑才上了网,铃木裕先生真是有先见之明。在没有基础设施的时期,首先能预想到未来的基础设施,真的是非常的感激。这个让还没进公司几年的人就去做,也是非常了不起的事情啊(笑)。现在想起来是非常搞笑的,当时去公司是从心底里讨厌。

――啊哈哈哈哈(笑)。

名越 在走廊和设计师的前辈擦肩而过时,只会想到“这个人也生我的气吧”这样的感觉。某种意思上说,锻炼了我的心理。对的,这里扯开话题,我在晋升时是有考试的。但是笔试,那个笔试的第一个问题就是写出社长名字的汉字。

――这个是送分题吧。

名越 我,把那个问题个搞错了哦(笑)。但是为什么要有考试,后来听说是因为我的适应性的成绩比较好的缘故。过了一段时间,(当时)和铃木裕先生的上司铃木久司有机会谈话。在那时我试着再一次问了“为什么我要参加考试?”,被告知“适应性中的压力忍耐性”这个项目,好像有让一万人吃惊的高分数,“所以要赌一把”。

――这是该高兴还是不高兴呢(笑)。

名越 回头看的话,因为忍受了,所以压力忍耐性很高吧(笑)。回到刚才的话题,边做和设计没有关系的工作边话点阵图......等我意识的时候,已经进入多边形时代了。公司招聘学生时,也是选取会3D知识的人。当然当时市面上还是多以点阵图为中心的游戏为主的时代,世嘉背负着朝最先进方向发展的任务。

――游戏历史的分歧点啊。当游戏决定以3D为目标时,就不能再画点阵图了啊。

名越 “在制作多边形游戏的时候,贴图技术是必要的。”公司因为我画过点阵图,所以让我做开发关于贴图类的工作。要使画面进步的话,必须要有设计师的意见。

――是啊。

名越 但是,当时即使召开会议也只能做一点程度的评价。因为不是很懂技术层面,即使有很强的希望,“做不到那样”就被一脚踢开的状态。但是,在那时起什么都没有,就是协助开发新的基板Model2。

到着手热门作品《梦游美国》为止

――Model2的开发是《梦游美国》的原点?

名越 是的。Model2的时候,为了让世界知道其能力,而开发了赛车游戏。

――听说、当初您从一开始就没有大显身手的感觉……在那样的环境、名越先生是怎么变成《梦游美国》的制作人的呢?

名越 当时,在做Model2的发表会时,出错很多,根本不是能够公开的状态。正当犹豫是否中止发表会的时候的,做了“因为已经知道Model2的性能,所以能做出这样的画面”这样的模拟,然后将其影像化播放出去就可以了。“虽然实机有很多出错的地方无法运行,但是也不是撒谎。”这样的感觉。(笑)。

――也就是只是进行模拟对吧(笑)。

名越 毕竟只是预想图(笑)。将那个影像进行宣传片风格包装,但是没有拥有那样能力的人的小组。我刚好在学生时代学过影像,所以我主导了影像制作。从现在看来是比较陈腐的影像,但是当时我是带有我的风格的“将赛车的热血斗争这样真实地去表现”的想法去制作而成的。那么做了以后,那个宣传片的评价异常高。

――那个影像也是名越先生的历史上的转折点?

名越 是啊。因为有宣传片的事情,被要求说“你也尝试着做做导演吧”。那是还没有制作人的说法,从综合看游戏的立场来看就是制作人。当时的我,有段时间没有画画了,CG图像的技术也是新人进公司已经有的状态。特别是3DCG就交给石井即可(石井精一。后来着手《铁拳》设立了株式会社ドリームファクトリー),想竞争也没办法。所以在那样的环境,“如果能让我可以有制作人的经验,那就让我做吧”那样的话,我接受了工作……从那其我就感觉要吐一般的累人(苦笑)。
待续

――原来和石井先生是同事啊!

名越 是的。我是朝赛车游戏道路发展,而石井先生制作了《VR战士》。结果石井也是希望制作朝自己风格的格斗游戏而离开了世嘉。

――对不起,偏离了话题。开发《梦游美国》时,什么地方让您感到最辛苦?

名越 找不到作为赛车游戏乐趣的答案,结果自己变得很奇怪。(苦笑)。现在回想起来,是很好的经历啊。本来,主板完成大概花费了2年左右。特别是开发初期,板を表示させてそれがクルクル回っているようなものをずっと見ているような状況で。俺からすれば「何のことやら」でしたね(笑)。もちろん並行して企画はずっと考えていたんですけれど、新しいマザーボードでどんなことができるかはわからないので、空想で考えなければならない。いまなら、パソコンでシミュレートできたりするんですけれど。

――是啊。

名越 そうして、2年越しでボードが完成したところで、いままで溜めに溜めたアイデアをぶち込んでいくわけですが、道路があって、ハンドルがあって、クルマが走るという、レースゲームとして当たり前のことができるようになった段階で、「じゃあこのゲームはどこがおもしろいのか?」と悩んでしまったんです。もちろん、絵は当時としては革新的にキレイだったのですが、「絵は絵でしかない」ということ、「ゲームとしてのおもしろさと絵の美しさはイコールにならない」ということに気付かされました。本当の意味で初めてゼロから作ったタイトルだったので、いい勉強だったのですが……。

――おもしろさがわからない状況というのは、ディレクターとしては恐ろしいですね……。

名越 でも上司からは「いつになったらゲームができるんだよ」なんていうプレッシャーもかかるわけです。開発から3年くらいが経つころには、完成しないゲームを前にチームの雰囲気も険悪になっていましたし、俺は俺で「自分にはディレクターはできないんじゃないか」と思い始めて。ある日、「そもそもこのゲームは何がダメなんだろう?」という話になったんですが、当時のメインプログラマーが「うまく走らせられないものを走らせるからおもしろいんだ」と、禅問答のようなことを言いだして(笑)。

――でも、わかる気がします。

名越 そう。よくよく考えてみればその通りで、失敗する要素が自分のミスくらいしかなかったんです。というのも、当時の俺は「恐る恐るアクセルを踏んだり、ハンドルを切るようなものってストレスじゃない?」って思っていました。でも、そのメインプログラマーは「それは現実の話。ゲームと現実の差は死ぬかどうかの差であって、死なないのがゲームなんだから。ストレスとは無関係だ」と言ったんです。もっともな意見ですよね。で、そのときにふと気付いたのは、そもそもゲームを作る際に、そういう“おもしろさ”についての議論をしていなかったということだったんです。

――根本的なところに原因が!

名越 そこで「いままでいろいろ言ったけど、一切無視してそれぞれがおもしろいと思うものを探ってみよう」となりました。そんな中で各担当者が勝手におもしろそうなものを探しつついろいろ見ていって、最終的にみんなが「これがおもしろい」と言ったのが、ドリフトするクルマだったんです。

――なるほど!

名越 そこで俺は、「なんでこれまでシミュレーターを作ろうとしていたんだろう」と愕然としたんですよね。そこからは、「おもしろさのためなら物理法則も曲げてしまえ!」という発想になっていって「ドリフトが気持ちいいから、長く続けると加速するようにしよう!」と。

――現実の物理法則ではあり得ないですけれど(笑)。

名越 言わばSFの世界なんですけれど、「現実を超越できるのがゲームだろう」と割り切れて。そこからの開発はあまり時間がかからなかったですね。ただ、ある程度できた段階で社内での評価を聞いたら……まあメタメタに言われて(笑)。「こんなうまく走れないクルマは見たことがない」だとか「どんな物理演算をしているんだ」とか。「こんなモノを世に出しても売れるわけがない」なんてことも言われました。でも、意図してそうしているものと、意図せずそうなったものは訳が違うので、社内の評価はいったん無視することにしよう、と。

――無視しちゃうんですね(笑)。

名越 で、試しにロケテストに出してみたら、これがまたバカみたいにインカム(売上)がよかったんです。

――おお!(笑)。

名越 そうしたら、会社も手のひらを返して「いつ出せるんだ?」、「工場の手配はいつ整うんだ?」みたいな感じになって(笑)。結果的には大ヒットになったんですけれど。

――まるで『龍が如く』の黎明期のようですね。

名越 そう、そういう手のひら返しのようなことがあるというのは、じつは『龍が如く』より前に『デイトナUSA』で経験していたんです。会社の意見も大事だし、会社にいるからこそできることもあるけれど、誰のためにゲームを作っているのかと言えば、お客さんのためであって、会社じゃない。それは、『デイトナUSA』のときに痛感しましたね。


――『デイトナUSA』の大ヒットを受けて、次作は会社には期待されそうです。

名越 『スカッドレース』はModel3と同時に開発を進めていたんです。表示できるポリゴンの数や色が一気に増えて画面も綺麗になったし、それなりにはヒットしたんですけれど、俺は当時怖くてしょうがなかった。

――と言うと?

名越 みんな『デイトナUSA』より売れると思っているから。

――あー。

名越 その根拠は「Model3だから」っていうことなんですが、俺としてはみんなが言うほどのヒットする根拠が『スカッドレース』に見出せなかった。「それなりにヒットはするだろうし、評価もされるだろう」とは思っていたんですが、それが『デイトナUSA』以上かと言われれば、そこまでではないだろう、と。手もとの数値で売り上げ予想を考えてもヒットの根拠に乏しかったですし。当時は売り上げ予想といっても、「全国にお店が何店舗あって、体感ゲームが置けるスペースがどれくらいで、お店の筐体入れ換えタイミングはこれくらい。だから逆算でこのくらいのインカムがあればいいだろう」というような、ざっくりしたものでしたけどね。

――なるほど。

名越 社内的にはそうした売り上げ予想が一定の水準に達する見込みがあれば、ゲームをリリースすることはできます。でも、比較対象の『デイトナUSA』のヒットがあまりにもスゴすぎた。時間をかけて達成したものですけど、最終的に200億円くらいの売り上げだったかな? まあ、当時は「すげえな」思いつつ、あまりピンときていなかったんですけれど。で、蓋を開けてみれば、『スカッドレース』はその半分を下回るくらい。それでも充分ヒットなんですけどね。会社には怒られちゃうんですよ(笑)。ただ、やっぱり自分でも『デイトナUSA』に届かないだろうと思っていたところがあるわけです。届かないのはわかるけど、どれくらい届かないかがわからないという感じ。会社的には「届くようにするべき」なんでしょうけど、その手法も見出せなかった。いま思えば、当時は稚拙だったな、と思う部分はありますね。

――そこでもひとつ勉強になった、と?

名越 そうですね。加えて、そのくらいの時期から「俺は一生ドライブゲームを作り続けていていいのか?」っていうふうにも思い始めて。当時の評価で言えば「ドライブゲームは鈴木裕さんにしかおもしろいものは作れない」というものだったのですが、そこに風穴は開けられたし、それはそれでよかったと思うんです。けれど、ほかのこともしてみたくて。それでまだ“知らない相手との共闘プレイ”がなかった時代に『スパイクアウト』を作ってみたりしたんですけれど。

――そうですね。ある意味、いまのMO的な遊びかたができました。

名越 当時はオンライン環境もいまほど整っていなかったから、ゲームセンターという環境がもたらす遊びかただとは思っていて。ただ、インカムがあまりよくなかったのが欠点でしたね。100円で長時間遊べちゃうので。

――お店的には困りますね(笑)。

名越 あとで聞いたところ、『スパイクアウト』を撤去するとお店にお客さん自体が来なくなるらしくて、しばらくは置き続けたみたいですけれど(笑)。


名越総合監督にとって鈴木裕氏はどんな存在だったのか
――このあたりで、名越さんの上司だった鈴木裕さんのお話をうかがいたいのですが。

名越 これまで積極的に鈴木裕さんに対してコメントをすることは控えてきてたんですが……いまだから言えるという感じでいいかな(笑)。正直、鈴木裕さんから学んだことは多かったですね。この前も新入社員の前でも言ったんですけれど、“出会いの価値”っていうのはその瞬間には意外とわからなくて、後になってわかるものだったりするんです。即効性のある出会いを求めようとか、相手を選ぼうとすると、人や仕事を選ぶダメな人間になってしまうよって話したんです。で、話を戻すと、俺にとっての価値のある出会いだったのが鈴木裕さんですね。当時はよく怒られたし、怒っている理由もよくわからなかったし……。「なんて勝手な人なんだ!」って思ったこともありました。正直、恨みに思ったことも瞬間瞬間ではあったかなあ(笑)。

――いまはそんな風に思っていないんですよね?

名越 もちろん。不満とか恨みって、時間が消してくれるんですよ。だから、いまは負の感情はゼロ。そして残ったものと言えば、鈴木裕さんに教えてもらったことのありがたみしかないですね。だから、価値のあった出会いだし、30年経ってそう言い切れるようになったんです。

――なるほど。ちなみに、最初に鈴木裕さんに出会ったときはどう思われたのですか?

名越 会ってすぐわかったのは、「この人ってスゴい人だな」ということですね。ただ、「こういう人に限って、世の中は絶対理解しないんだろうな」とも思いました。その予感が的中していたということは、時間が経つにつれて嫌というほど思い知らされるんです。

――具体的には、どんなところなのでしょう?

名越 鈴木裕さんは、本音と建て前というものがほぼない人なんですよ(笑)。

――あははは(笑)。そうなんですか!

名越 正しいことを正しいと貫き通すんですから、そりゃ揉めますよ。

――純粋なんですね。

名越 そう。本当に純粋な人なんです。あとは、何かのために何かを犠牲にするということを考えないですね。例えば「Aはカッコいいけどわかりづらい。Bはわかりやすいけどちょっとダサイ。どうしよう?」なんて話を現場でしていても、「カッコよくてわかりやすくしろ」としか言わないし、それ以外の結論は絶対に許さないんです。

――なるほど。

名越 「そうは言っても、もう時間がないんです。このままこれが世に出てしまってもいいんですか?」なんて言ってもダメ。「時間がなくなったのはお前たちの責任だろ!」ってガンガン怒られて。半泣きになりながら考え直すとか、そういうこともありましたね。そのうえ、結果的にいいと思えるモノができたらできたで「これだけのことができたんだから、もっとできるよな!」って言われてOKが出なかったりするんです。

――うわあ(笑)。

名越 「試されていたんだ」という腹立たしさと「じゃあやってやるよ」という反骨心で、またがんばることになるんですけれど。人の焚きつけかたも知っていたんでしょうけれど、独特でしたね。それに合う人は鍛えられてどんどん伸びていくんですが、合わない人も当然出てくると……(苦笑)。

――それが、“合う、合わない”の話ですね。

名越 鈴木裕さんは、とにかく純粋に高みを目指してモノを作りたいだけなんです。クリエイターとしてそれが悪いはずはないんですが、あまりにも純粋なものって……時として人を傷つけるし、理解されないこともある。

――そうですね。

名越 逆に言えば、純粋さがもたらすものがどんなものかという勉強にもなりました。でも、いまになって思うと、俺も鈴木裕さんのようなことを言っていることがあって。2択や3択で物事を決めようとしている段階で、小さい選択をしようとしているのではないかという恐怖は理解できるし、あのとき鈴木裕さんが言っていたこと、叱られたことの中身というのは、ものすごくよくわかるようになったんです。やっぱり叱るときも痛いところを突いてきますからね。

――やはり、そこはクリエイター同士ですものね。

名越 同じ作り手だから、こちらが弱いなと思っている部分をわかって叱るんです。だからこっちはぐうの音も出ないわけで。「本当にこれがいいと思っているんだったら、この仕事辞めたほうがいいよ」なんてバサッと言われたりすると、悔しいと思いますし。でも、言われてよくなったことを実感すると「悔しいけど、あそこで言われなかったらこうならなかったな」っていうものが残るので。当時は「いつか越えてやろう」と思うことの連続でしたけど、いまは「ありがたい」という感情しかないですね。ゲーム作りのイロハを教えてもらったので。

――ある意味、いい思い出ですね。

名越 そうですね。開発中の筐体に乗り込む前から文句を言い出したりして「とりあえず乗ってもらえませんか?」みたいなこともありましたけどね。乗ってくれても、ハンドルをちょっと切っただけで「ダメ」って言われて。何がダメかも言ってくれないですから。ややこしい割烹の大将みたいな感じでしたね(笑)。

――たまには褒められたりもしたのですか?

名越 褒められた記憶はあまりないですね。だからこそ、「この人に褒められたい」という弟子の気分でした。せいぜい「まあいいよ」くらいでしたから。そもそも、他人が作っているものより、自分が作っているもののほうが遥かに強い興味を持っている人でもありましたね。これは愚痴とかじゃなくて笑い話なんですが、自分でゲームを作るようになってから相談に行ったりしても「それはいいから、これどう思う?」みたいな話にしかならないんです。しかもそれに対して俺がコメントをしたらしたで、「そうか。じゃあお前のチームから人を出してくれない?」みたいなこともありましたし(笑)。

――あははは(笑)。実際にメンバーを送ったんですか。

名越 期限付きで送りましたよ。送り出したメンバーには恨まれましたけど(苦笑)。

――タイヘンな方だったんですね。

名越 人としての評判は賛否がわかれる人でしたね。ただ、モノ作りっていうのは真剣勝負で、突き詰めると人間性がどうかなんて関係ないんですよ。そういう評価基準みたいなところも鈴木裕さんを見ていて覚えたところもありますし。モノ作りにおいては、いい人でいる必要なんてどこにもないって思うようになりました。

――なるほど。

名越 『シェンムー』なんてそのいい例ですけど、あんなに高い理想を持ってゲームを作ろうとすること自体がある意味どうかしているんですけど、それをやろうとした人であり、実行した人ですからね。チャレンジにはワクワクと恐怖がついてくるものだと思うんですけれど、鈴木裕さんはどんな状況においてもワクワクが勝っているので、恐怖についていくら説明したところで止まらないんですよ。「失敗したら死ぬかもしれないんですよ?」って言っても、「でも、生きてたらこれが手に入るんだぜ?」って言う人なので。

――あはははは(笑)。

名越 クリエイターとしてはそれが正しいですし、ふつうの人は勝てないですよね。生き様としては、いまだに魅力のある人だと思います。鈴木裕さんがいなかったら、ゲーム作りのきびしさも楽しさも理解できなかったと思うので。あとは、あらゆる場面で本質的なところを教えてくれた人でもありましたね。例えば、「何で筐体のハンドルの位置はこの高さじゃないとダメなの? レバーの位置は何でここなの? 誰が決めているの?」みたいな話にもなったりして。「女の子が筐体に乗らない理由はスカートの中が見えるからだとして、どうやっても見えてしまうから諦めるのと、見えないものを作るのとでは、どっちが価値が高いと思う?」なんて話もされて。俺たちはゲームの中身を作ることが仕事でしたけど、鈴木裕さんはそうしたユーザー体験までを含めて、ひとつの製品として捉えていて。そういう意識を持たせてくれたりもしましたね。

――言われてみれば、というところですね。

名越 さらに、遊ぶ人が不満に思っていることを取るだけじゃダメで、それを越えたものを作らなきゃダメなんだよ、ということを教えてくれたり。いまで言うマーケティングの観点ですね。絶対にマーケティングの本なんて読んでないはずなんだけど(笑)、直感的にそれがわかる人でしたね。純粋だからこそ、純粋な疑問の積み上げを自分なりに解決し続けてきたんでしょう。それが俺にとって新鮮だったし、自分でもそういうふうに考える癖がついてきて。疑問に思ったことをいっぱい人に聞くようになりました。そうやって理由を探っていくと、そうせざるを得ない事情があったり、単純にお互いが気付いてなかったりで。それが後者であれば、よりよく改善できたりしたこともあって。当たり前のところから疑っていくということが大事なんだと思わされましたね。

――的确那样。顺便问一下,铃木裕先生相同的,从根本上给名越先生带来影响的人,其他还有吗?

名越 没有了。在我制作游戏方面,受到像铃木裕先生这么大影响的人没有了。


 采访企画的前篇就到此为止。世嘉公司内的师徒关系名越和铃木。业界相关人员都知道的有着特别紧张感的故事,名越先生将其心情***裸地表明了还是第一次。

 明天(2019年5月12日)公开的采访后篇是世嘉硬件撤退后的游戏制作,对任天堂的想法,以及公开《如龙》系列诞生相关的有趣的小故事。

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看不懂啊~~~~~~~~~

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我生错国家了?我从小学的是中文呀,还是这里是日站?

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有没有人用几句话简单概括下
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LZ过分了。。

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发表于 2019-5-11 20:55  ·  上海 | 显示全部楼层
好歹翻译一下。这么发没意思的

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世嘉铁杆

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 楼主| 发表于 2019-5-11 21:00  ·  浙江 | 显示全部楼层
已经开始在翻译了。

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发表于 2019-5-11 21:04  ·  广东 | 显示全部楼层
本帖最后由 p3733 于 2019-5-11 22:46 编辑

看了一半,明天再看
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