Chapter 5 分析と証明B
ただの人間の耕太、愛する女を救って守るために、命を落とす危険があるにもかかわらず、一人で人狼である朔に向かい挑む。いくら厄介な相手でも、いくら勝ちそうに見えなくても諦めなかった。
希望があるかぎり最後まで頑張る。希望がなくても無理しても手段を選ばずに勝つのだ。という信念を、耕太は持っていた。
ようやくちずるを朔から奪い返したが、これ以上憑依を行ったら、耕太はちずる、朔のような妖怪になるということを知った。しかし、耕太はちずるを守るために人間から妖怪になってもいいと思った。
相手を思い、相手の事を最優先に考え、自分よりも相手を中心と考える。
相手の為なら、自分はどんな目にあってもいい。という信念はどれだけ心強いのだろう。
ちずるが暴走しだして、力を抑えきれず、とても危ない状態になっていた。みんなを連れて逃げてとちずるから頼まれたのに、耕太は危ない状態になっているちずるから離れようとはせず、かえってちずるのもとに駆けた。
憑依合体することでちずるを暴走している状態から静まらせるつもりであった。
二人がキスして、憑依状態に入らなかったが、二人がちずるの中に入ってしまった。
ちずるの中で眠っている力を目にして、ちずるはただの狐妖ではなく、恐ろしい力の持ち主であることに気付いた。
ちずるも言った「これ以上憑依合体したら、耕太君まで妖怪になってしまう。」これだけ恐ろしい力の持ち主に憑依されたら、果たして耕太の身はどうなるのか、とんでもない妖怪になるのか…考えにくい。
それにもかかわらず、耕太は決してちずるを見捨てようとしなかった。最後の最後までちずると共にいる決意をしていた。
二人がもう一度キスして、今度は完全憑依がうまくいった。ちずるを暴走している状態から静まらせることに成功した。
ちずると完全憑依した耕太は地面から立ち上がった朔に“無理ですよ、朔さん。もうあの姿(人狼の姿)でも今の僕たちには…”と言った。
でも朔は再び人狼の姿になりながら“だろうな……しかしお前は勝てないと分かっていた俺に、なぜ立ち向かった?”と聞き返した。
そのとおりだ、最初から人間の耕太は人狼の朔に勝ち目がない。耕太にも、朔にも分かっていた。それなのに、耕太は勝ち目のない相手に向かった。
それはなぜか?愛の力だからだ!
いくら相手が自分より強くても、いくら勝ち目がないと言っても、いくら結果を知っていても、愛する人を守る為なら、諦めたくないだろう。
愛の力によって相手は誰であれ、負ける可能性は99%であれ、恐れず相手に立ち向かう事になる。
無理にしても相手を倒せという気持ちを持つ事になる。
いくら人狼である朔が強いと言っても、耕太とちずるの愛と絆の前では、打ち倒される呙?胜韦馈?
以上のストーリによって、以下の内容は明らかになった:
愛は人に勇気を出させる、そして敢えてできない事をできるように成す。
愛は自分ではなく相手を中心とする。
愛は相手から与えてもらうのではなく、相手に与えるものである。
愛は相手の為に自分を犠牲する。
愛はお互いに手を放さない、いつまでも、どこまでも、何かあっても離れやしない。そして生きようか、滅びようか、いつまでも、どこまでも、何かあっても、どんな目に会っても、最後の最後まで一緒
にいる。
愛は無敵の力だ。どんな手強い困難に向かっても諦めやせず、逃げようとはせず、困難を打ち倒す!
愛の前では不可能なんかない。愛は全ての不可能を可能に成す。
「かのこん」のライトノベルとコミックは今でも連載している。しかし、これだけの内容で「愛」というものを十分に解釈できる。
(続きは《考察》)