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楼主: 我为eg狂

[完工] 加贺老师部落格中BS关联部分博文的翻译总集帖

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目若朗星

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 楼主| 发表于 2013-3-23 23:22  ·  福建 | 显示全部楼层

  ベルウィック同盟24カ国とは     发表于:2012年7月3日(星期二)


 ベルウィック同盟24カ国(勢力)の構成国は以下の通りです。

(1)ヴェリア13国(ヴェリア王国とそれに従属する7大公国と新興の5小公国の計13国で構成される封建国家)

(2)ヴェリア教団(国ではないがナルヴィア西方に自治領を有し、神官団と直属騎士団を擁する。ただし騎士団の精鋭部隊、シャインナイトはモルディアス王の粛清により現在は存在しない)

(3)北東3王国(レイア、イシス、ペシルはヴェリアとラーズの中間に位置する古い王国。長らくラーズの支配下にあったがヴェリア教の浸透で現在は西側同盟に参加)

(4)北部7王国(北部の未開地域に分立する7つの王国。部族国家が発達したもので歴史は深いがいずれも小国。周辺にはいまだ未開部族も多い。(アイギナのリアナ王国もこのうちの一つですね)



[関係図]

 ベルウィック同盟も本来は11王国(と教団)の対等な同盟ってことになります。ヴェリア王国が参加している以上、その配下の公国がヴェリアに従うのは当たり前のことで、それに従わない公爵がいれば反逆者として処刑されることになります。その辺りがレイアやリアナなどの立場と異なるところです。


  贝维克同盟24国指的是     翻译者:egberto@A9VG


  贝维克同盟24国(势力)的构成如下。

  (1) 贝利亚13国(贝利亚王国与其下属的7大公国、新兴5小公国,合计13国构成的封建国家)

  (2) 贝利亚教团(虽然不是国家,但在纳尔维亚西方拥有自治领,拥有神官团与直属骑士团。但是骑士团的精锐部队——光辉骑士团因为默迪亚斯的肃清现在已不存在)

  (3) 东北3王国(雷雅、伊西斯、佩西尔,是位于贝利亚与拉兹中间位置的古王国。曾长期处于拉兹的支配之下,因为贝利亚教的渗透,现在加盟到了西侧同盟)

  (4) 北部7王国(位于北部未开化地区的7王国。因是从部族国家发展而来,所以历史悠久,但都是小国。周边仍有许多原始部族。爱琪娜(アイギナ)的利亚那王国也是7王国之一)



[关系图]

  贝维克同盟的11个王国(与教团)是对等的同盟关系。贝利亚王国参加了该同盟,其下属的公国追随贝利亚是理所应当的,若有公爵不追随,则将被作为叛逆者处刑。在这一点上各个公国与雷雅、利亚那等国的立场是不同的。


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目若朗星

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 楼主| 发表于 2013-3-23 23:26  ·  福建 | 显示全部楼层
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 楼主| 发表于 2013-3-23 23:34  ·  福建 | 显示全部楼层

  シノン公爵バーンストル     发表于:2012年7月3日(星期二)


 セヴァール会戦においてレイア王カルマンはセヴァール川とセルジア台地に挟まれた天然の要害に本陣を構え、両脇に精鋭部隊を配置して鉄壁の守りを誇っていた。しかしこの地に本陣を置くことを予想していた聖騎士バーンストル(571-619)は、モルディアスの許可を得て配下の騎兵100騎余と共にセルジア山中に潜み両軍が河を挟んで対陣した翌早朝、崖を駆け下って奇襲をかけた。

 前日の疲れで眠り込んでいたレイアの兵士たちは 霧の中から突然現れた騎士団の姿に驚き大混乱に陥る。 バーンストルは自らも多くの手傷を負いながら、 レイア王の本陣に切り込みその首を討ち取った。

 彼はこの時の武勲により、公爵位を下賜され 王国の直轄地であった辺境領シノンを領して 新たな公国(606-621)を興すに至る。

 シノン地方は草原地帯で主に牧畜を生業とする複数の先住部族が存在する。 この地方が王国に服属したのは半世紀あまり前であるが、 この地に暮らす先住騎馬民族は、誇り高く、勇猛な人々であり、 過去にも数名の王国貴族が封建領主として赴任したが、 先住民の反乱により殺害された。

 力による支配は無理と見た先王は、王国の属州にして 隣国のセレニア公国にその管理を任せ、 セレニア公爵もまた諸部族の自治を認めるるという形での放置状態にあり、バーンストル公爵による建国・統治は、このような厳しい状況の中で行われたため王国内では誰もが、失敗して逃げ帰るものと噂していた。

 バーンストルは赴任するとすぐに族長たちを招集し、 自らの方針と彼らの要求をすべて書き出して文書にした。 可能なことはすべて受け入れ、合意した事項を基本法として これを破る者はたとえ部族長であろうと処分すると 法治国家としての体制を築いたのである。

 また先住部族の若者たちを、文官・武官として大量に採用。 公爵自ら僻地にいたる全土を視察して回り、 困窮する住民には食料や家畜を分け与えた。 (隣国セレニアのルーヴェト公爵は国を上げてバーンストルを支援した)

 こうした諸策により最初は反抗的であった草原の民たちも 新しい領主バーンストルを信頼し、 リースがナルヴィアに旅立つ頃(治世12年)には 小国ではあるが豊かで安定した国に生まれ変わっていた。

 ちなみにアデル・レオン・シロックらは 先住部族の若者たちで少年のころにバーンストルによって見出され 教育を受けた者たちである。

 バーンストルはヴェリア北方の小村を領する下級貴族(小領主=騎士)の三男として生まれた。(ヴェリア暦571年生)幼い時は思慮深く大人しい少年だったが剣技については生まれついての才能が有り、15歳で家を出たのちは各地を放浪して自由騎士(傭兵)として戦いの中に身を置き続けた。

 匪賊の襲撃に怯える辺境の街や村に好んで雇われ、他の傭兵なら一日で逃げ出すような危険で見返りの少ない仕事でも誠実に果たし、その誠実なる振る舞いとずば抜けた強さで人々を魅了して多くの知己を得た。

 辺境警備隊長だったウォードと最初に出会ったのも傭兵時代のことであり、リアナ国王と盟友になったのも(リアナ国の動乱時に王子だった現国王を助けた)戦死した親友(自由騎士)から息子(エルバート)を託されたのもこの時期である。

 彼の名声を聞きつけたヴェリア王ハーメル7世はバーンストルを王宮に呼びつけ国王直属の臣下となって近衛部隊を指揮せよと命じる。バーンストルは固辞するが王の強い求めで26歳にして王宮の近衛隊長(このころに妻を迎えた)、3年後の王国暦600年には王国聖騎士となり(同盟24国で行われる槍試合を三年連続で勝ち抜いた功績による。リースはこの年に誕生)王都の傍にわずかな領地を与えられて伯爵に叙せられる。(片腕となった騎士ウォードはこのころ部下になる。あることから罪を得て処刑されるところを救ったのが理由であるがその顛末については後述)

 しかし実質的な上官であるパドルフ内務卿(後に登場するパドルフの兄)とはそりが合わず、ある日、王宮内で若い侍女をいたぶるパドルフを制止しようとして勢いあまり殴打してしまう。ひ弱なパドルフは重篤に陥り、死罪もやむなしという状況になるが、それまでは特に親しいわけでもなかったモルディアス王子が助命に動き領地での謹慎で許された。こういった経緯により、図らずもモルディアスに近い立場となるのだが、内乱後期にはパラミティースら反乱派の逃亡を助けたり流刑中のベルナードを密かに援助したりと、 心情的にはモルディアス派を快く思っていなかったようだ。

 ラーズの侵攻時には病を患い出征しておらず、 後にベルナードの腹心となって西部戦線を支えたが、ヴェリア暦の619年、竜騎士ゼフロスとの一騎打ちで戦死した。享年48。



  西浓公爵班斯托尔     翻译者:egberto@A9VG


  赛瓦尔会战中雷雅王卡尔曼把本阵设在了赛瓦尔河与塞尔吉亚(セルジア)高地之间的天然要冲,在两翼配置了精锐部队形成铁壁之势。但是早就预料到敌军会在此地设下本阵的圣骑士班斯托尔(571-619),在默迪亚斯的许可下率着配下的骑兵100余骑埋伏在了塞尔吉亚山中,次日黎明,从悬崖冲下进行了奇袭。

  因前一天的疲惫而熟睡的雷雅士兵,看到雾中突然出现的骑士团而惊慌失措陷入混乱。班斯托尔身负数伤仍冲入雷雅王本阵,取得其首级。

  他因为此次功勋卓著,受封公爵及王国直辖地的边境领西浓,建立起了新的公国(606-621)。

  西浓地方乃是草原地带,存在着复数个以畜牧为业的原住部族,归属于王国仅有半个世纪有余。居住在此地的原住骑马民族,都是些骄傲勇猛的人,过去曾有数名王国贵族作为领主到此赴任,但都因原住民叛乱而被杀。

  先王见难以凭武力支配该地,遂将其委托给王国的属州、邻国塞雷尼亚(セレニア)公国管理。塞雷尼亚公爵也只是承认诸部族的自治权,由其自行管理。班斯托尔公爵的建国、统治就是在这样严峻的背景下展开的,王国内的所有人都认为他一定会失败而归。

  班斯托尔刚一到任,就召集了诸族长,将自己的方针和他们的要求全部写成文书。尽可能的听取他们的意见,将取得共识的事项作为基本法,建立起了族长犯法与庶民同罪的法制国家的体制。

  他还大量采用原住部族的年轻人作文官、武官。公爵亲自视察领土到每一个地方,分配给穷困户以粮食与家畜。(邻国塞雷尼亚的鲁贝特(ルーヴェト)公爵举国支援班斯托尔)

  这些政策使得起先持反抗情绪的草原之民开始信赖班斯托尔,到利斯(リース)前往纳尔维亚时(治世12年),虽然仍是个小国,但已经发展成了富饶安定的国家。

  顺便一提,阿迪尔(アデル)、雷昂(レオン)、西洛克(シロック)等人,都是原住部族的少年,被班斯托尔看中接受教育长大的。

  班斯托尔是作为掌管贝利亚北方某小村的下级贵族(小领主=骑士)的三男出生的。(贝利亚历571年生)年幼时就是个深思熟虑的成熟少年,还拥有使剑的才能,15岁时离家到各地作为自由骑士(佣兵)投身到各个战役中。

  受雇于怯于匪贼袭击的边境街道、村落,别的佣兵一天就会落逃的危险多回报少的工作,他也忠实的完成。凭借着这份诚实和强大,很多人为之所吸引而成为他的知己。

  当时担任边境警备队长的沃德(ウォード)就是在他佣兵时代结识的。和利亚那(リアナ)国王结为盟友(利亚那内乱时帮助过当时还是王子的现国王)、受战死的好友(自由骑士)托付抚养其子(艾尔巴特(エルバート))也都是在这一时期。

  素闻其名的贝利亚王哈梅尔7世,将班斯托尔招入王宫,命其作为国王直属臣下指挥近卫部队。班斯托尔起先坚辞不受,但在国王强烈要求下以26岁之冠担任了王宫的近卫队长(不久后娶妻),3年后的王国历600年,叙勋为王国圣骑士(因其连续三年蝉联同盟24国枪术比武大会冠军,同年利斯诞生),受封伯爵和王都近郊的领地。(后来成为其左膀右臂的骑士沃德在此时成为其部下。因某事沃德被问罪即将处刑时被其所救而加入其麾下,具体后述)

  但是实质上的长官内务卿帕德鲁夫(后来登场的帕德鲁夫之兄)与其不咬弦,某日,帕德鲁夫调戏宫中侍女被班斯托尔阻止,摩擦中班斯托尔痛殴帕德鲁夫。孱弱的帕德鲁夫生命垂危,以当时的情形,治班斯托尔死罪也不为过,但得到了本来并不亲近的默迪亚斯王子的帮助,仅仅被命令在领地里反省思过。因为这个缘故,非出己愿地成为了默迪亚斯派,但在内乱后期帮助帕拉米提丝等叛乱派的逃亡,还暗中援助流放中的贝尔纳德,可见他从感情上是不太喜欢默迪亚斯派的。

  拉兹入侵时因为染病而未能出征,后来作为贝尔纳德的心腹支撑着西部战线,贝利亚历619年,在和龙骑士泽夫罗斯(ゼフロス)的单挑中战死,享年48岁。



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 楼主| 发表于 2013-3-23 23:39  ·  福建 | 显示全部楼层

  ベルウィック内乱[血の八年動乱]概説(2)     发表于:2012年7月4日(星期三)


 セヴァール川の敗戦で二人の盟主を失った東部同盟は求心力を失い瓦解、 北方諸王国はモルディアスの軍門に下り、 王国内ではアーレス派に対する粛清の嵐が吹き荒れた。

 レイアの王城には第一王女アルテミア(先代ヴェリア王の嫡子アーレスの妻)とその子供たち( ベルナードの妹アナスタシア(13)、弟フレディ(10))が保護されていた。

 モルディアスは彼女たちを引き渡すならレイア王国の罪は不問にすると懐柔したが、第二王女にしてパラスレイアの使い手である魔法騎士のフェリアーヌは、ベルナードの釈放とアルテミア親子の安全が保障されない限り降伏はないと夫のベングリオン(ヴェリア神殿騎士団の名高いシャインナイト)・兄のアレクトー(レイアの新王)とともにレイア城に立てこもった。モルディアスの王国軍は数度に渡って城攻めを行うもその都度敗退。以後一年間にわたってフェリアーヌたちは配下の騎士・魔道士らと共にアーレスの妻子を守り続けるのである。

 話は少しそれるが、先を続けるためには王国と教団の関係を述べておかねばならない。 ヴェリア教団(*7)はこの内乱において中立の立場を堅持した。

 これは当時の巫女、シルファ・ブロンテの神性が婚姻によって衰え、 先王の死因がモルディアスが言うようにアーレス王子の手によるものか、 それともレイア王が言うように、それ自体がモルディアスらの陰謀なのか、 事の真相について神託が下されていないことにあった。

 しかし604年(7月)に一人娘のサナーキアが生まれると、シルファの神性は一時的に回復され、その神託によって、先王の殺害がラーズ教団の手によってなされたことが判明する。教団はその事実を双方に伝え、直ちに休戦するよう 巫女シルファの御教書を発布した。(604-8)

 内乱を利用してレイアを初めとする同盟諸国の力を削ぎ、政敵となりうるアーレスの勢力を排除しようと考えていたモルディアスはこの御教書に対して「教団が自分を新王として認め、巫女によって載冠がなされるならアーレス派と停戦して彼らの罪は問わない」と誓約した。だが第33代ヴェリア国王として即位すると、彼は再びアーレス派と目される諸侯らの粛清に取り掛かった。 これに激怒した巫女シルファはモルディアスに対して「弾圧を止めてベルナード以下の捕虜を解放せよ。誓いを破るなら破門も辞さない」と警告を発した。

 ヴェリアの王位はエルタナ法典によって、ヴェリアの子(つまりヴェリア教徒)であることが絶対条件とされる。巫女によって破門されることは、すなわち王位をもはく奪されることである。モルディアスは自ら神殿に出向いて慈悲を請い、巫女の命に従うことを誓約した。

 だが、その7日後、何者かが巫女の神殿に侵入し、産後で力が衰えていた 巫女シルファと傍付きのシスター数十名を殺害するという事件が起きる。 (604-9:26世巫女シルファ・ヴェリ・ブロンテ、享年27歳。)

 シルファの娘サナーキアは 巫女の神殿に仕える見習い騎士(神官騎士=トルヴァドール)であったパラミティース(16)によってかろうじて救い出され、シルファの夫である光輝騎士団長デニムッド(アラムグルズの一族)の下に届けられた。

 デニムッドはシャインナイトを従えて神殿に駆けつけるも、すでに現場は国王直属の兵士らによって閉鎖され、その翌日、モルディアス国王は同盟全土に向けて巫女の非業の死を伝えた。

 「現場に残されたラーズ紋章の剣から、この凶行はラーズ帝国の手によって なされたことは明らかである。我らが光の女神と敬う巫女を害するものは 暗黒神を奉ずるラーズ以外になく、我らはこの悪行を看過し得ないであろう。

 私はここに宣言する。ベルウィック神殿の扉は開かれた! 同盟諸侯は盟約に従い直ちに聖戦への準備をせよ! 半年以内に軍備を整えペシル王国サキリア砦に集結せよ!と。

 ヴェリア教団も王のこの決断を支持して配下の神殿騎士団に聖戦に従うよう命じた。 巫女シルフアはすでになく、その娘はまだ一歳にも満たない。ゆえにヴェリアの神託が下されるはずもなく、諸侯も聖職者も民衆も、全てのヴェリアの民がラーズ帝国の仕業だと信じ込んだ。

 しかしただ一人、巫女の傍近くに仕えていたパラミティースだけは真実を知っていた。彼女は犯行の直前にシルファから「王が私を殺しに来る。もはや阻止しえない。サナーキアを連れて脱出せよ」と命じられたのである。

 彼女はその事実をシルファの夫に告げた。デニムッドは教団にモルディアスの罪をただすよう求めたが、司教らは「年少の見習い騎士一人の言葉を信じて国王を糾弾するとはなんたる不遜」としてデニムッドを光輝騎士団隊長の任から解き身柄を拘束した。彼は後に脱出して反モルディアスの戦いに身を投じる。

[余談]

 神殿地下牢からデニムッドを救ったのは彼の部下だったシャインナイトたち。その中には見習い騎士のパラミテイースもいました。ルボウは当時はまだ司祭でしたが脱出の手引きをしています。

 後に詳しく述べますが、パラミティースはデニムッドが斃れるまでの約3年、彼の身辺近くにあって身の回りの世話などをしていました。彼女がシャインナイトとしての技能を身に着けたのもこの時です。幼いサフィアはルボウに預けられナルヴィア神殿で養育されました。

 巫女がモルディアスを王にしたのは理屈的には正しい。正当な王位継承者のアーレスが次期国王にモルディアスを指名して自害したから(神託で証明された)。巫女の暗殺で正当性を失ったがモルディアスは認めていない(だから口封じのためにシャインナイトを粛清した)

 巫女の神殿(この当時は王都の近くにあった)の警備は本来厳重だったが、ハイランドの神殿が先住民に襲われたというニセ情報でデニムッド以下の光輝騎士団(巫女の親衛隊)が出払っていたためその隙を突かれた。これもモルディアスの策略と思われる。彼の***力はある意味天才的。

 ヴェリアの内乱にラーズ帝国が介入しなかったのはクレイマン皇帝の意志による。彼とヴェリアの先王は共に優れた君主で、直接的な交流は無かったにせよ、二人が在位している間は一度も大きな戦争は起きていない。(ヴェリアの巫女シルファも平和を願っていた)

 しかし狂信的なラーズの教皇ウルバヌヌスは皇帝の意志に反して密かに刺客を放ち、先王ハーメルを殺害した。

 これにより、両国が再び戦争状態に入ることを望んだのである。だが東方国境に不安を持つクレイマンは内乱に関して一切の関与を許さず、605年にヴェリアから侵攻があるまで不介入を貫いた。
 
 モルディアスがラーズに宣戦布告したのは、外敵を得ることで国内世論を統一し自らの立場を強固にするためであった。(故に内乱が収束するとクレイマンに和議を申し入れた)

 この結果、孤立したレイア王国はラーズ軍によって蹂躙され(アナスタシアらは逃亡途中に捕らえられる)、ヴェリア国内ではシャインナイツが反逆者として粛清され、最後まで抵抗を続けたフェリアーヌもロズオークに諭され北方へ落ち延びるのである。



  贝维克内乱「血之八年***」概说(2)     翻译者:egberto@A9VG


  因赛瓦尔河的战败失去两位盟主的东部同盟从此失去了向心力,北方诸王国转投默迪亚斯门下,王国内刮起了肃清阿雷斯派的暴风。

  雷雅王城内保护着长公主阿尔缇米亚(前代贝利亚王的嫡子阿雷斯之妻)及其孩子们(贝尔纳德的妹妹阿娜丝塔西亚(13)、弟弟弗雷迪(10))。

  默迪亚斯怀柔放话说只要交出她们,他就不治雷雅王国的罪。雷雅二公主——精灵之炎(パラスレイア)的使用者、魔法骑士菲里阿奴(フェリアーヌ)则要求释放贝尔纳德并保证阿尔缇米亚母子的安全,否则决不投降。与其丈夫本古里安(ベングリオン)(贝利亚神殿骑士团的知名光辉骑士)、哥哥阿雷库特(アレクトー)(雷雅新王)一起坚守雷雅城。默迪亚斯的王国军数次攻城全被打了回来。此后菲里阿奴她们与下属的骑士、魔道士们一起保护阿雷斯的妻儿达一年之久。

  稍微转移下话题,为了下文叙述,得先交代下王国和教团的关系。贝利亚教团在这次内乱中是保持着中立的立场的。

  这是因为当时的巫女、席尔法・布隆缇(シルファ・ブロンテ)因结婚致使神性衰弱,先王的死因究竟是如默迪亚斯所说是阿雷斯王子下的手,还是如雷雅王所说是默迪亚斯的阴谋,关于事情真相的神寓一直都没有降下。

  但是到了604年(7月)独生女萨纳琪娅(サナーキア)诞生后,席尔法暂时恢复了神性,根据她得到的神寓,判明了杀害先王的是拉兹教团。教团将此事实告知给了双方,并发布巫女的教书呼吁立即休战(604-8)。

  打算利用内乱削减以雷雅为首的同盟诸国的实力、最终彻底排除政敌阿雷斯的势力的默迪亚斯接到教书后,发誓「只要教团承认我是新王,由巫女给我举行戴冠典礼的话,我就和阿雷斯派停战并不治他们的罪」。但是他刚继位为第33代贝利亚国王,就马上着手肃清阿雷斯派的诸侯。对此震怒的巫女席尔法向默迪亚斯发出警告「立即停止***并释放贝尔纳德等人,否则将逐出教门」。

  根据艾尔塔那(エルタナ)法典,贝利亚国王有一绝对条件是他必须是贝利亚之子(即贝利亚教徒)。被巫女逐出教门,也就意味着被剥夺王位。默迪亚斯亲自前往神殿请求宽恕,发誓遵从巫女之命。

  但是7天后,一群来历不明的人入侵巫女的神殿,将产后力衰的巫女席尔法及其身边的数十名修女杀害(604-9:第26代巫女席尔法・贝利・布隆缇(シルファ・ヴェリ・ブロンテ)、享年27岁。)

  席尔法的女儿萨纳琪娅由当时在巫女的神殿担任见习骑士(神官骑士)的帕拉米提丝(パラミティース)(16)拼死救出,被送到了席尔法的丈夫、光辉骑士团长迪尼姆德(デニムッド)(圣者阿拉姆古鲁兹(アラムグルズ)的族人)那里。

  迪尼姆德率领光辉骑士赶到了神殿,但那里已经被国王直属的士兵所封锁。次日,默迪亚斯国王向全同盟发出了巫女的讣告。

  「现场留有刻着拉兹纹章的剑,此次凶案无疑是拉兹帝国所为。加害我们的光之女神、敬爱的巫女的,就只有崇尚暗黑神的拉兹了,我们岂能放任此等恶行。
  我在此宣布,贝维克神殿的门打开了!同盟诸侯遵从盟约立即准备圣战!半年内做好军备在佩西尔王国萨奇利亚(サキリア)要塞集结!」

  贝利亚教团也支持国王的决断,命令配下的神殿骑士团准备圣战。巫女席尔法已不在人世,她的女儿还不到一岁,所以接受不到神寓。无论诸侯、圣职者,还是黎民百姓,所有的贝利亚的子民都相信这是拉兹帝国所为。

  但是只有一个人,曾伴于巫女左右的帕拉米提丝知道真相。惨剧前席尔法曾亲口对她说「国王马上就要来杀我了。事到如今已无法阻止。你赶紧带着萨纳琪娅逃出去」。

  她将这一事实告知给了席尔法的丈夫。迪尼姆德向教团请求揭发默迪亚斯的罪行,但是几位司教以「居然相信一个年少见习骑士的话要来弹劾国王,实在是大逆不道」为由免除了迪尼姆德光辉骑士团长的职务,并将他逮捕了起来。他后来越狱,投身于反默迪亚斯的战斗中去了。

[题外话]

  从神殿的地下牢中把迪尼姆德救出来的是曾是他部下的光辉骑士们。当中也有见习骑士帕拉米提丝的身影。鲁本(ルボウ)当时还是司祭,也为了这次越狱穿针引线。

  以后还有详述,帕拉米提丝在到迪尼姆德身亡为止的约3年间,一直在他身边照料着他。也就是在这段时期,她习得了光辉骑士的技能。年幼的萨菲娅(サフィア)则托付给了鲁本,在纳尔维亚神殿养育成人。

  巫女拥立默迪亚斯为王合乎法理。因为正当的王位继承者阿雷斯指名默迪亚斯做下任国王后***(神寓对此进行了证明)。虽然因为暗杀巫女而失去其正当性,但默迪亚斯拒不承认(所以为了封口肃清了光辉骑士团)。

  巫女的神殿(当时在王都附近)的警备本来十分森严,但得到假情报说海兰德(ハイランド)的神殿遭到原住民的袭击,迪尼姆德率领光辉骑士团(巫女的亲卫队)出击,因此被钻了空子。后世认为这也是默迪亚斯的策略。他的***手腕在某种意义上可以说是天才级的。

  因为库雷曼(クレイマン)皇帝的旨意,拉兹帝国没有介入贝利亚的内乱。他和贝利亚先王都是优秀的君主,虽然二人没有直接的交流,但在他们在位期间,没有爆发过一次大规模的战争。(贝利亚的巫女席尔法也企望和平)

  但是狂信的拉兹教皇乌鲁巴努斯(ウルバヌヌス)背着皇帝放出刺客,杀害了先王哈梅尔。

  他希望就此两国陷入战争的泥沼。但库雷曼担心东方国境会发生变故,下旨不许介入贝利亚内乱。这一政策一直贯彻到605年贝利亚入侵。

  默迪亚斯之所以向拉兹宣战,是希望借树立外敌来统一国内***、巩固自己的地位。(所以内乱彻底平息后他就向库雷曼要求议和)

  结果,孤立的雷雅王国遭到了拉兹军的蹂躏(阿娜丝塔西亚在逃亡途中被捕),贝利亚国内光辉骑士团作为叛乱者遭到了肃清,到最后仍坚持抵抗的菲里阿奴也听从罗兹奥克(ロズオーク)的劝告逃亡到了北方。



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好长,回头空闲了来看,先顶起再说。PS:eg的虾米名字叫什么?

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最后这张拉伦提亚的图片太棒啦

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Daos_炜炜 发表于 2013-3-24 09:30
好长,回头空闲了来看,先顶起再说。PS:eg的虾米名字叫什么?

同为“我为eg狂”,不过在虾米偶只是找音乐来外链而已,并不上传音乐的。

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 楼主| 发表于 2013-3-24 19:34  ·  福建 | 显示全部楼层
wangkefei444 发表于 2013-3-24 11:08
最后这张拉伦提亚的图片太棒啦

广田老师的作品,画廊贴过清晰版的(估计加贺老师不擅长处理图片吧)

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发表于 2013-3-25 11:32  ·  日本 | 显示全部楼层
进来占楼。
如今一看,还是最初翻血之八年***那会儿最激情了

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发表于 2013-3-26 09:20  ·  北京 来自手机 | 显示全部楼层
我为eg狂 发表于 2013-3-24 19:34
广田老师的作品,画廊贴过清晰版的(估计加贺老师不擅长处理图片吧)

尤其是龍騎姐姐那眼神。太傳神了。血之八年這段劇情對整個劇情的補完還是挺關鍵的。非常感謝樓主
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